
善光寺の仁王門は明治24年に焼失し、それから20数年かけて再建されました。
そのエピソードが「善光寺仁王門再建」に載っています。
「阿・吽」の像は高村
光雲が米原雲海をパートナーとして作った話はよく聞きますが、建設費用は長野県山形村の永田兵太郎という方の寄付で賄われたものだそうです。
当時の費用6万9千円は千円で家が建つ時代、現在なら、数十億円だとか…。
「永田兵太郎」とgoogleで検索してもほとんどヒットが無く、忘れ去られている感じです。

掛かっている額は「定額山」です
ウィキペディアによると、『山号は定額山(じょうがくさん)。古えより、四門四額(しもんしがく)と称して、東門を定額山善光寺、南門を南命山(なんみょうさん)無量寿寺(むりょうじゅじ)、北門を北空山(ほくくうさん)雲上寺(うんじょうじ)、西門を不捨山(ふしゃさん)浄土寺(じょうどじ)とする。』…だそうです。


門をくぐって振り返ると、こんな感じです
